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消費 社会 の 神話 と 構造

無差別的に接近可能になったものが、今度は差異表示記号として機能しはじめた。その結果消費が社会全体を均質化するように見えて、消費を通じて社会の内側に差異のシステムが構築され、誰もが差異のコードに自分自身を記号化して書き込まないといけなくなる。 あらゆる種類の反社会的言説、消費社会に対する批判的言説さえもが、消費対象として記号化され「回収」されてしまう。 それが、欧米消費社会をしのぐとも思える、集団的消費社会(帰属集団と同じものを消費し続けないと誰もが不安になる社会)を実現した。 差異かされた記号としてのモノの流通・購買・販売・取得は今日ではわれわれの言語活動であり、コードであって、それによって社会全体が伝達しあい語り合っている。これが消費の構造であり、言語である。 こうして消費社会では、あらゆるモノやサーヴィスが商品化されると同時に、消費者相互間の微妙な差異を表示する言語記号となり、消費者は日々の消費行動を通じて、全社会規模の差異のネットワーク上で際限のないコミュニケーションから逃れられなくなってしまう。

消費社会の神話と構造 解説

書誌事項 消費社会の神話と構造 ジャン・ボードリヤール著; 今村仁司, 塚原史訳 紀伊國屋書店, 2015. 9: 新装版 タイトル別名 La société de consommation: ses mythes, ses structures タイトル読み ショウヒ シャカイ ノ シンワ ト コウゾウ 大学図書館所蔵 件 / 全 125 件 この図書・雑誌をさがす 注記 1979年発行の新装版。新たに索引と著者による写真2点を追加。 内容説明・目次 内容説明 他人との差異を示すためのファッション、インテリア、自動車からメディア、教養、娯楽、余暇、美しさ・健康への強迫観念、セックス、疲労、暴力・非暴力まですべては、消費される「記号」にすぎない。時代を拓いた名著に新たに「索引」と幻の原書初版から、ボードリヤール自身による写真2点を追加。 目次 第1部 モノの形式的儀礼(消費の奇蹟的現状;経済成長の悪循環) 第2部 消費の理論(消費の社会的論理;消費の理論のために;個性化、あるいは最小限界差異) 第3部 マス・メディア、セックス、余暇(マス・メディア文化;消費の最も美しい対象—肉体;余暇の悲劇、または時間浪費の不可能;気づかいの秘蹟;豊かな社会のアノミー) 結論 現代の疎外、または悪魔との契約の終わり 「BOOKデータベース」 より ページトップへ

消費社会の神話と構造 要約

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消費社会の神話と構造

149-150) 使用価値の犠牲 消費の体系においては「使う」という本来的な価値が失われているとも言えます。 モノは、かわりのきかないその客観的機能の領域外やその明示的意味の領域外では、つまりモノが記号価値を受けとる暗示的意味の領域においては、多かれ少かれ無制限に取りかえ可能なのである。こうして洗濯機は道具として 用いられる とともに、幸福や威信等の要素としての役割を 演じている 。後者こそは消費の固有な領域である。ここでは、他のあらゆる種類のモノが、意味表示的要素としての洗濯機に取ってかわることができる。象徴の論理と同様に記号の論理においても、モノはもはや はっきり規定された 機能や欲求にはまったく結びついていない。というのはまさしく、モノは社会的論理にせよ欲望の論理にせよ、まったく別のものに対応しているのであって、それらに対しては、モノは意味作用の無意識的で不安定な領域として役立っているからである。 (前掲書、p. 93) 現代におけるモノの消費 最後に『消費社会の神話と構造』における消費の定義を見てみましょう。 消費は [...] 次のように定義される。 (一)、消費はもはやモノの機能的な使用や所有ではない。 (二)、消費はもはや個人や集団の単なる権威づけの機能ではない。 (三)、消費はコミュニケーションと交換システムとして、絶えず発せられ受け取られ再生される記号のコードとして、つまり 言語活動 として定義される。 かつては、生まれ・血統・宗教上の差異は交換されあうものではなかった。それらは流行上の差異などではなく、本質的なものに触れていたのであった。それらは「消費」されるものではなかったのだ。ところが、現代における差異は、服装やイデオロギーや性の差異さえも、消費の巨大な連合体のなかで互いに交換される。それは諸記号の社会化された交換である。あらゆるものが記号の形式をとって交換されるのは習俗の少しばかりの「自由化」のおかげではなくて、すべての差異を承認の記号として統合する秩序によって差異が系統的に生産されるからである。またもろもろの差異は互いに取りかえ可能であるから、階級の上下、右翼と左翼の違い以外には、相互の間に緊張も矛盾も存在しないからである。 (前掲書、pp. 120-121)

記号消費(semiotics of consumption) とは、モノの生産と消費が飽和状態である現代社会において、モノは機能性や有効性によって需要されるのではなく、社会文化的な記号として消費されることを指します。 「記号消費」が議論されるとき、必ず参照されるのは哲学者であるジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』(1970)です。 ボードリヤールの議論は消費社会を理解する上で、避けては通れないほど重要な視点を提供しています。 そこで、この記事では、 記号消費の意味 ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』の議論 記号消費論に関する研究 をそれぞれ解説します。 あなたの興味関心にあわせて、読み進めてください。 このサイトは 人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディア です。 ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。 →Twitterのフォローはこちら 1章:記号消費とはなにか?