歯 の 噛み 合わせ 治し 方 割り箸

歯 の 噛み 合わせ 治し 方 割り箸

いのち を つなぐ 未来 館

復興新時代をいわてから。~いのちをつなぐ未来館・菊池のどかさん~ - YouTube

命を守るワークブック作成進む、鵜住居「いのちをつなぐ未来館」〜岩手大教員養成支援センター「生き抜く子どもを」教訓つなぐ | かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

ホーム 三陸海岸 釜石市 2019年3月18日 2019年4月1日 釜石市にいのちをつなぐ未来館が3月23日(土)にオープンしています。 場所はここ↓ 〒026-0301 岩手県釜石市鵜住居町第16地割72−1 いのちをつなぐ未来館は東日本大震災での出来事を伝え、子どもたちの防災学習の拠点となる施設として整備されたもので、NTTドコモ、岩手大学の協力により津波が発生する仕組みを体験者が身体を動かしながら理解することができる学習型コンテンツが設置されています。 ▼こちらからデモ動画をご覧いただけます。 ▼Twittr 鵜住居のいのちをつなぐ未来館に行ってきました。この場所には鵜住居の防災センターがあったそうですが、本来津波の避難所ではなかったこの場所に避難した多くの人が亡くなったそうです。その教訓を活かさなければならない。その思いが「いのちをつなぐ未来館」の名前に込められているようです。 — yoshiya (@yoshiya_0511) 2019年3月26日 → 他の開店・閉店記事はこちら

いのちをつなぐ未来館 - 【釜石の観光 かまなび】釜石観光物産協会公式サイト

2011年3月の東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県釜石市。「いのちをつなぐ未来館」では、震災の教訓を未来へと伝える取組が行われている。職員の菊池のどかさんは、大震災での自らの被災体験を国内外の人々に語り、命を守ることの大切さを伝えている。 2019年3月、岩手県釜石市鵜住居町に「いのちをつなぐ未来館」が開館した。三陸鉄道リアス線の鵜住居駅に隣接するこの施設は、「東日本大震災の教訓の伝承」と「防災教育の推進」という目的で設立された。オープンから一年間で、地元の住民、国内外からの観光客、防災関係者など、約6万8000人以上が訪れた。 館内の展示室には、釜石市の被害状況、復興の軌跡、防災教育を紹介するパネルや写真、津波到達時刻で止まった時計などの遺物、CGで津波を仮想体験できるディスプレイなどが常設展示されている。 その中に、鵜住居町の釜石市立釜石東中学校と鵜住居小学校の児童・生徒、約570人の避難行動と避難経路が時系列で詳しく紹介されている展示がある。同小中学校は、津波によって全壊するが、津波が到達する前に、児童・生徒は学校から高台まで1. 6キロの道のりを30分にわたって懸命に避難し続け、全員の命が救われている。この避難行動は、日頃からの防災教育が役割を果たしたとして、大きな反響を呼んだ。 「地震の揺れが収まったら津波が来る。一刻も早く高台へ逃げなければ。そのことは、日頃の訓練を通じて体に染み込んでいました」と、未来館の職員、菊池のどかさんは語る。 菊池さんは、2011年3月11日、釜石東中学校3年生だった時に、学校で東日本大震災に遭遇した。菊池さんは地震の揺れが収まるとすぐに、大津波警報のサイレンが響く中、同校の生徒や教員、日頃から一緒に避難する訓練を重ねていた隣接する小学校の児童たちと共に、少しでも高い場所を目指して必死に走った。 釜石市を含む三陸地方は、古くから津波の被害をたびたび受けてきた。そのため市では、防災教育に力を注いできた。その結果、震災では市内の小学生1927人、中学生999人の命が助かり、市内小中学生の生存率は99.

C+A - Coelacanth And Associates | うのすまいトモス いのちをつなぐ未来館 / 鵜の郷交流館

#知ろう。東北 #岩手 #ICT・アプリ #ドコモの地域創生活動 #教育・防災 「いのちをつなぐ未来館(釜石市)」へ展示「津波の仕組み学習システム」 2019. 03.

語り部ガイドの菊池のどかさん/岩手県復興PR動画「復興新時代をいわてから。〜いのちをつなぐ未来館・菊池のどかさん〜編」 - YouTube

「会員インタビュー」連載第3回のゲストは、いのちをつなぐ未来館の菊池のどかさんです。 2019年6月に3. 11メモリアルネットワークの全体会を釜石で実施した際には、鵜住居(うのすまい)の地域を案内していただき、参加した会員の方々も大変勉強になったと、とても好評でした。 今回のインタビューでは、菊池さんの子ども時代から「いのちをつなぐ未来館」で働く現在までの経緯や思い、大切にしていることなどについて、お話を伺いました。 菊池 のどか(きくち のどか) 岩手県釜石市出身・在住 2011年の東日本大震災発災当時は、甚大な津波被害を受けた鵜住居地区にある釜石東中学校の3年生だった。その後、盛岡の大学に進学したが、卒業後はふるさとに戻り、2019年4月に株式会社かまいしDMCに入社。「いのちをつなぐ未来館」のスタッフとして、館内や周辺地域で自身の震災の経験を伝えるほか、地域の防災学習にも携わっている。 海と山で育つ 菊池さんの、震災前の暮らしをお伺いしてもいいですか? 菊池さん) 生まれも育ちも釜石です。遠野市に近い橋野(はしの)という山あいの地域の出身で、幼少期はほとんど山で遊んでいました。 父が根浜(ねばま)という沿岸の地区の出身だったので、夏休みには海でも遊んでいました。「海と山のハーフ」といったところです。 学校はどちらに通っていたんですか? いのちをつなぐ未来館 - 【釜石の観光 かまなび】釜石観光物産協会公式サイト. 菊池さん) 橋野小中学校という、小学校と中学校が一緒になった学校でした。小学校5年生のときに、橋野中学校が閉校してしまって、中学校1年生からは鵜住居の釜石東中学校にスクールバスで片道30分かけて通うようになりました。 広い学区ですね。例えば、半島からくる子たちと内陸の子たちでは、災害に対する意識も結構違ったんですか? 菊池さん) 橋野で暮らす私たちにとっては、災害といえば台風や大雨という感覚でしたね。 津波については、中学校で鵜住居に来てから初めて触れました。もともと海の近くに住んでいる子たちとはまったく意識が違ったのだと思います。 子どもの頃には気づかなかった釜石の魅力 3.